眩しすぎる月明かりに目が覚めた。
「……カーテン?」
 閉めたはずなのに。
 横目で見れば右側だけ開いていて、丁度胸から顔にかけて月明かりが注がれていた。
 じっと見つめていてもカーテンは閉まらないし。
 起こされた事に不機嫌になりながら身体を起こして、スリッパも履かずに灰色の絨毯の上を歩く。実は元来ものくさな性分なもので、人前に出るときとこうやって一人で居るときとはかなり、俺の印象はかけ離れているそうな。リン曰く。
『家での顔をお見せになったら、もっとおモテになると思いますよ』
 家での顔なんて――殆どが無表情だ。外での方が笑顔で愛想がいいのにな……。
 そんな事を考えながら、深緑のカーテンに手を掛けた時。
 背後で扉が開けられて――そして直ぐに閉じられた音が響いた。
 まるで中に人が居ることに気づいて慌てて、逃げたような。
 風? ――そんなわけは無い。
 使用人なら逃げるわけが無い。
 人形。
 か?

 ペンライトを片手に自室のドアを押し開ける。
 持って動ける明かりはコレしかなかった。それに暗闇に目が慣れている――逆に何も持たない方が良かったかもしれない。
 本棚だらけの書斎。
 得に寝室に繋がっているドアがある方は、それが密集している。机に近い方は時々来客を通したりもするので、広い空間を開けてあるが。今は目の前の本棚たちが邪魔で見えない。
 人形は机がある方の、ドアの右隣の壁。
 流石に本棚で全ての明かりが遮られて何も見えない。仕方なくペンライトの明かりを頼りに、フローリングの床を踏みしめる。
 曲がりくねった本棚の道。
 角を曲がるたびに心臓が高鳴ったが――その光景が目に飛び込んで来た時、俺は全身の力を抜いた。
 人形は最後に見た姿のまま。
 直立不動で、角に収まっていた。
「……ただの気のせいだったのか?」
 確かに聞いた音だと言うのに、たった一度の物音だけを聞いて、その後こう長い時間を無音で過ごすと――自身を疑い始めてしまう。
 ふいに大きな欠伸を一つ。
 眠いから寝よう。
 部屋に戻ろうとした足は、だが動く事が出来なかった。
 俺の肩口から伸びてきた男の腕には鈍色の輝き。
「……大胆ですね」
 暫く待っても何も言ってこないので、仕方なく自分からそう言った。
 とたん、喉元に強く押し付けられるナイフ。おいおいおい、落ち着きの無い。なんというかコレはアレだな。
 妄執の念を感じるぞ。
「フューフ……当主だな」
「私は一介の使用人でございますが」
 すると反対側の手が伸びてきて、その指先には俺の写真。
 ブロマイドが出回ってるなんてなあ。
 男は直ぐにその写真をしまった後、俺に膝をつかせた。乱暴にだが無駄のない動きで上向かされ口元に布を押し当てられる。
 素人じゃないな。
 目的は泥棒じゃ、無い。
 身代金目当ての拉致。
 めんどくさいなあ。交渉とか時間掛かるんだよな。
「落ち着いているな……まあフューフの子息が誘拐拉致されるのは、今回が初めてじゃないだろうが」
 仰向けに見た犯人の顔は黒い仮面で覆われていた。
 声は若い男。肉声かどうかは分からないが低くて、少し早口な訛りがある。
 キツクキツク押し当てられる白い布地。
 薬をかいでしまった風を装って、顔を顰めて目を閉じ、全身の力を抜いた。
「残念。コレは意識を奪うやつじゃなくて、酩酊させるもんだぜ?」
 糞が。
 囁かれた瞬間全力で暴れた。だが床に倒れこんで居たのが悪い体勢で押さえ込まれる。
 息を止めれるのは二分が限度。暴れた所為でそれよりも我慢がきかない。
 苦しくてたまらない。
 もがく腕も一まとめにされ力を失ってゆく。
「我慢しないで、思いっきり吸えよ」
 笑った声は、先程よりも幼く聞こえた。


 この間薦められた拳銃、買っときゃよかった。
 血が集まって耳鳴りがする頭が痛い息が苦しい背中が痛い。
 手が。
 白い手袋に包まれた、大きな手。
 逆さまに頭上に伸ばされていて――幻かと思っていたら。
 それが、拉致犯の襟首を捕まえて軽く放り投げた。
 俺と同じくらいはある大の男を。
 片手で。
 一瞬の間の後。
 投げ飛ばされた拉致犯が俺の机にぶち当たる音で世界が現実に返った。それと同時に苦しさがぶり返して慌てて布を除けて息を吸って少し薬も吸い込んでしまって刺激臭に咳き込む――咳き込みながらソレを見上げていた。
 人形。
 立って、歩いている。
 命令も無しに。
 自分の意思で。
 見下げる黒い瞳には――確かな知性。
 人形のぼんやりとした瞳じゃない、意思を持って物体を物体として視覚で捕らえている瞳。
「お前……」
 何かを多分聞こうとして口を開いた。
 だが同時に聞こえてきた拉致犯が立ち上がる音に全てを忘れてしまった。
 軽い身のこなしで立ち上がって、構える男は――月明かりでよく見れば俺よりも小柄で、子供と言ってもいいぐらいの。
「テメエ……人形……?」
 混乱している。
 俺だってな。
 人形は、何時もの無表情で黙ったまま。じっと拉致犯を視線で捕らえていて。
 拉致が失敗に終わったのは被害を受けた俺から見ても明らかだった。
 黒い仮面をつけた男はだらりと両肩の力を抜いた後、大きな溜め息。
「このタイミングで、起きるかよ……ノワール」
「勝手な名前で呼ばないで下さい」
 それが始めて聞いた人形の声だったがそんなことより驚かせたのが、この拉致犯が苦々しく、だが親しげに人形に話しかけた事。
 ちょっと待てお前等。
 と言おうとしたのにろれつが回らずそれどころか唇が上手く開けない。くぐもった声に二つの視線が向けられ、拉致犯の方は再び溜め息。
「薬は二時間ぐらいしたら抜ける。……はー……また来るわ……」
 そして俺の前をスルーして堂々とドアから。
 スルーさせて人形は無表情のままソレを見送るし。
 捕まえろよ馬鹿役立たずと叫びたくとも叫べないので人も呼べない。腕も上手く上がらないので人形の服を引っ張る事も出来ないし出来ても何か無視しそうなコイツ。
 かなりの勢いで投げ飛ばされたのに、少しのダメージも見せていない拉致犯は、ドアの前で一度振り返って。
 バイバイ。
 あ、バイバイ……
 って返している場合じゃ!
「おみゃッ」
 ってお前までバイバイしてんじゃない! 人形ー!!

 蹴り飛ばした。
 それはもう今までの蹴りの中でも最高な渾身の力でヤツの膝裏を
 へにょっと。
「……」
 見られている。
 というか見下されている。俺が地べたにへたり込んでいるから仕方が無いが、主人を見下すとはなんたるか。
「みゃ、へ」
「……」
 首を傾げられた!
 お前状況で分かるだろ待てと言っているんだよッ。
 あっさりと“人形”に戻ろうとしやがって。何の説明もしないつもりか。
 腕はどうにかあがるそれでヤツのズボンの裾を握り締めた。
「……皺になります」
 なれ!
 俺に向けた最初の言葉が、ソレか!?
 拉致未遂犯はあっさり逃がすし床に倒れこんでいる俺を放って部屋の角に戻ろうとするし。
 ああそれよりもそんなことよりも。
 コイツは本当に、人形なのだろうかという疑問。
 パントマイムが得意な人間とかではないのか。そんな考えまで浮かばせるほど。
 目の前の人形は、柔らかく、意思のある動きをしていた。
 しゃがみこむ膝の屈伸。瞬きをする瞼。伸ばされた腕が脇の下に回って、確かに筋肉の動きで持ち上げられるのを感じた。
 成人男性を高い高いするほどの怪力だけれども。
「……」
「……」
 月明かりの中、見つめ合う二人――に意味など無いので、顎で机を指してそこに下ろさせた。
 意思疎通の不完全さで、椅子の上ではなく机の上に座らされたが。
 人生には妥協が必要だという事は、五歳の時に学んだよ……。
「……」
「……」
 テレパシーが使えたら良いのになって、生まれて始めて本気で思った。
 もう殆ど手足の自由が利かないから筆談も不可能。
 意識まで朦朧としてきて。
 バランスが取れなくなり横に倒れる。
 机に肩が当たる前に支えられる。
「マスター」
 マスター……? 誰だ……繰り返し呼ばれている。俺のことか……?
「マスター。寝室はどちらで」
 隣の部屋だよ。
「マスター。答えて下さい。瞼を開いて」
 開いているし
 ちゃんと、答えている……


 溜め息が聞こえた。










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