「……コウヨウ?」
 しんと静まり返っていた室内に呼ぶ声が響き、反射的に顔を上げその人を見た。普段着に着替えたガズナ。手にはトレイに載せた湯気の立つ朝食を抱え、上の階から降りてきていた。
 ガズナは一旦トレイを置いてから、三つある窓の全てのカーテンを開き切った。テディと違い白煙は上がらない。だけれども突き刺す陽光に眩しそうに目を細めて、くるりとこちらに向き直った。
 明るいところで見ると、ガズナは毛色が黒より淡くて、濃茶の瞳を縁取る睫毛は長くて濃い。鼻も少し高くて……かといってテディのように完全な白人の顔でもない。丁度日本人とどこかの国のハーフのような、国籍不明の顔立ちをしていた。見たものを一瞬惹きつけるあやふやさ。
「大丈夫か? とりあえず、食べれる?」
「う、うん……ありがとう」
 じっと見つめてしまっていたことに気づき慌てて返事をしたが、正直言って食欲は無かった。だけれど気を使ってくれているガズナの好意を無駄にしたくなくて。
 大通りから外れたマンションの、五階……車の音も響かず、耳鳴りのような無音が室内に沁みる。コウヨウの目の前、ソファーと合わせて置いてあるテーブルにガズナが皿を並べ、量からして自分も食べるつもり。
 独りでいたら考えたくない事を考えてしまうから、ガズナが居てくれる事に少しほっとした。
「お祈りとかはしない主義で」
 吸血鬼だしねと笑ってそのまま、スープに口をつける。
 コウヨウは小さくいただきますと言ってから。 
 暫く食器の擦れる音だけが響いて、気まずくなって顔を上げると、同じように気まずくなった相手と目が合った。
「あの」
 何も考えずに声を上げてしまい相手の視線にたじろぐ。何が聞きたかったのか。急いで考えて口から出たのが。
「リュード、さんは?」
「……あぁ。夜型だから、まだ寝てるよ」
 一瞬戸惑うような表情の後笑って答えられた。そのまま暫く互いに固まって。
「その」
 次に口を開いたのはガズナ。
 少し、身構えたコウヨウだったが。
「コウヨウって、いくつ?」
「あと少しで17です」
「そうなんだー」
 再び、沈黙。
 互いに言わなければいけない事は分かっているのだ。
 でもソレを切り出すのが互いに怖い。
 ――コレから、どうするのか。その答えを出すのが。
 だけれど意をけしたように、ガズナがスプーンを置き背筋を伸ばして、そして口を開いた。
「話をしようか。俺たちの、吸血鬼の、ね」
 いっそ耳を塞いでしまいたい心地だったコウヨウは呆気に取られ、そして頷いた。
 何も知らないから。
 自分はあまりにも無知で愚かで、それ故にテディに受け入れてもらえなかった。
「知りたい事を、教えてあげる」
「……」
 知ったところでもう、後戻りは出来ないけれど。
 どうせ消される、記憶だから。ガズナはそう思って口を開いたのだろうか。それでもいい。
 どうせ消される、記憶でも。納得して忘れたい。
「コウヨウが知りたい吸血鬼は――テディさんだろ?」
 顔が熱くなったが否定しなかった。いまさら羞恥に首を振ってなんの得になるのか。ガズナには、テディとの最後の会話を聞かれているのだから。
 コウヨウが頷くのを待って。
 ガズナの口から、この二年間ずっと、知りたくてたまらなかったテディの本当の姿を伝えられた。
 テディは。
 やっぱり組織とつながりがあって。
 亜朗が所属していたそのSSIという組織から、違反を起こした吸血鬼討伐の依頼を受けて、『仕事』をしていた。
 その『仕事』を受けるようになったのは。
 5年前にスウェーデンから日本に渡ってきてから。前任の『執行任』から指名されて。
「その前は何処にいたとか、何をしていたのかまでは分からない。なんせ、俺もここに来てやっと一年経つかという位なんだ。……吸血鬼っていうのは何か、排他的でさ。自分の根城と定めた所から何十年何百年も動かない者も居る。実際、俺も生まれてこのかたイギリスの実家の敷地外、ましてや外国なんかに来たのは、コレが本当に初めて」
 世界中に吸血鬼と言うのは結構居て。
 皆隠れて、存在を人間に知られないようにしている者が殆どらしい。
 ただ例外が、この町。
「原因はパドリシオ……昨日銀髪で赤色の目をした子供が居ただろ? アレ……」
「彼が、何を?」
 嫌そうな顔をして言うガズナに思わず尋ねると、さらに嫌そうな顔をして。
「人間から隠れるようにして生きるのはおかしい。逆に支配して種の保存を図るべきだ……そんな考えなの、アイツ」
「まさか、人間を?」
 人間に危害を加えるつもりなのかという質問に、ガズナは首を振り。
「そこまで馬鹿じゃない。裏から、政治と経済を、乗っ取るんだってさ。冗談じゃなさそうだし、権力あるからしゃれになんないし」
 権力? あんな小さな子供が? そう考えて間違いに気づく。
 人間ではないのだ。見かけ通りの年ではあり得ない。今目の前に居るガズナだって、話し方は若いが本当はいくつかになるのか……。
「あの、パドリシオ、さん……はいくつなんですか?」
「えーと確か、準大老だから、250は超えてるはずだよ。ちなみにテディさんも同じくらいで、この町で一番年寄りなのはリュードだね、650歳超! ジジイって呼んでいいよもう」
 アッハッハと笑うガズナの表情がそのまま凍りついた。コウヨウもどうしていいか分からなかった。教えてあげようと思ったのだが、静かにしろと仕草で言われたしその笑顔が怖かったし。
 そして全ての結果として――ガズナは真後ろから伸ばされた両手にやわらかく恐ろしく首をそっと包まれ。
「――誰が、ジジイだって?」
 そしてやらしく耳元に吐息を吹きかけられたガズナが我に返ってリュードの手を振り解くよりも先に。
 昨夜の完全再現。
 ただし今度はガズナが逆さまで。逸らされた喉が昨日以上に、苦しそう。
「ン、ぐ」
 ガタリとガズナの膝がテーブルの裏に当たって、リュードが膝立ちの体勢になりバランスを崩しかけていたガズナの身体を支えて固定して、そして満足するまでその後二分ほど――コウヨウは濃厚なキスシーンから必死に、目を逸らし続けていた。
 昨日も思ったけれども。
 外人さんって、遠慮が無いというか人目を気にしないというか。おそらく気にしていないのはリュードだけだろうが。
 というか今更過ぎて聞けなかったけれど……この、二人は、恋人同士……男同士だけれど何度もこういう場面を見せ付けられては、鈍感な振りも出来ない。
「もうメシ食ってたのか。ガキは起きるのがはえーな」
「はあ……」
 色々なショックを受けてぐったりしているガズナをそのまま膝の間に埋めて、伸ばした手でガズナのパンを取って齧り自由気ままに本能に従って行動する――リュード。
 650以上って、言っていたけれど。
 確かに貫禄があって何故か逆らえず、全ての者を従わせる雰囲気を持っているけれど。
 ガズナに嬉々として悪戯を続ける彼は見た目通りの、まるで本当に少年のようだった。
「あー! どけッ放せッもうずっと寝てろお前はッ!!」
「無理やり叩き起こしたのは誰だよ」
「さっきは起きなかったじゃないか!」
 ガズナが必死にリュードの腕の中から這い出し、コウヨウの隣に回って、奪われた朝食を恨めしそうに見つめる。パンを一つ薦めると涙ながらに、アリガトウ。
 おそらくベッドから直接こっちに来たリュードは、ダボダボのシャツにこれまたサイズの合ってなさそうな隙間だらけのズボン。普通の人間が着ていたら普通の普段着が、銀髪と赤目の整った容姿に何故か、モデル服のように見えてくるから不思議だ。
「何だ?」
「いえっ」
 視線が合い思わず慌てた返事をすると。
「惚れたか?」
「死ね!」
 と返したのはリュードの嫌いなサラダをフォークで突き刺していたガズナ。ただし捕まらないように十分に距離を取ってからの暴言。幅のあるソファの背もたれギリギリに横向きに膝を立てて、いつでも逃げられる姿勢。
 それを喉の奥で笑って、リュードがついと身を乗り出す――コウヨウに向かって。
 妖艶な唇が弧を描き、ちらりと覗く牙が、赤い舌先になぞられるのが間近で。
「こんなのより、テメエの方が美味そうだな」
 何かを考える前に赤い虹彩の奥の瞳孔に、思考と体の自由を奪われた。もちろんソレは魔術的な力が要因ではなく――人ならざる者の、本能へと介入する魅力。
 食べられたい。いっその事自分から喉を晒して、血を啜られたい……そんな事まで感じさせられた。
 押し留まったのはガズナの怒鳴り声と――脳裏に浮かんだテディの顔。
 食べられたいのは牙を埋められたいのはひとりだけ――――。
「オーケイ。合格だ」
 その言葉に我に返った。一瞬、夢を見ていたかのような酩酊感。
 目の前には飛び込んできたガズナをしっかりと両腕に抱えて満足そうに笑っているリュード。その赤い瞳には――確かに時を重ねた知性が、垣間見えた。
「ただ吸血鬼になりたいとかじゃねえみたいだな」
「あ……」
 試されたのだと分かった。だが怒りは沸かない。
 リュードのやることは絶対的に正しい。出会って二日と立たないのに信じきっている自分が居た。でもそれは多分、子供が大人に感じる絶対的な感情のソレと、よく似ている。
「生半可な信念じゃ、俺様の魅力には逆らいきれねーからな」
「何が魅力。しわしわの魅力?」
 ほぼ反射的に無駄口を叩いてしまっているガズナにヘッドロックをかまし、顎で脳天をぐりぐりとへこませるリュード。ひとしきりお仕置きが済んだ後、もう涙目になりつつあるガズナを拘束したまま少し真面目な声で話し始めた。
「吸血鬼になりたいとか、言ってたらしいな」
「……はい、でも……」
「今でもか?」
 でも拒否されたのだと続けようとして、遮られた。
 今でも……? もうそんな事に意味なんてない。
 テディが一緒にいてくれないのなら、もう。
「……力になんて、永遠の命になんて興味はありません。もし……記憶が消されても今までどおりテディが隣人として近くに居てくれるのなら…………記憶が無くても構わないと、思ってます」
 この手は一度は拒絶されたけれど。でも。
 リュードとガズナの視線を受け止めて、コウヨウは笑った。
 どうにも気持ちに嘘は吐けずに。
 まだ貴方の傍に居たい。
 それだけでいいと思えた、一晩たって、出した答え。
「ふうん?」
 リュードは口の端だけで笑って、コウヨウからガズナに視線を移した。一瞬絡み合った視線を焦ったように引き剥がして、ガズナはリュードの腕の中で縮こまる。
「ずっと一緒に居たいか?」
 それは確かにコウヨウに向けて囁かれた言葉だったけれど。
 リュードの視線はガズナから離れず、ガズナは視線を合わせようとしない。気まずそうに赤くなって、泣きそうな顔をして、それからコウヨウを見上げてきた。
 その何故だか答えを求めるような瞳を見返して。
「……はい」
 コウヨウはしっかりと頷いた。


 顔を見れるだけでいい笑顔が見れるだけでいい。傍に居てくれるだけでいい。心を押し殺すのは辛いけど、もしかしたら記憶と一緒に、この気持ちも消えてくれるかもしれないから。
 そうしたらずっと笑って、傍に居てくれるかな。





 テディ。

 思った以上に、貴方の事が好きです。


















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