カイと

 隼人

 そして
 あたし

 

 世界は小さく生きていた。




 「あったかいご飯が食べられるなんて」
 レンジで暖めただけの豆スープに涙さえ滲ませて喜ぶ隼人。その隣には、まだ食べ始めたばかりなのに空の皿を無言で差し出してくるカイ。なんであたしがと不満に思ったが、この男に給仕をやらせると何かが破裂とか爆発とかしそうな感じがして、その皿を引っ掴む。
 あの後。早季子を壊した後。
 カイの提案により無理やりあたしの家に彼らを招いて『もてなし』する事になった。食料はまだいっぱいあるから、別に分けてあげないわけではなく寧ろ最初から提供しようとさえ思っていたけれど。何故だか腑に落ちない。
「リュウちゃん、ありがとうね」
 ややわざとらしく不満顔を作っていたのだが、隼人の垂れた目じりを更に垂らした能天気な笑顔でお礼を言われると気が抜けて。
「……ちゃん、つけないでいいから。……おかわり要る?」
「ありがとう! リュウ!」
「こっちもだ。リュウ」
 右向かいから差し出された皿は無視して、作り置きして鍋に移してあるスープをそれごと台所から持ってくる。そしてダイニングテーブルのど真ん中にどんと置き、隼人にだけ給仕をしカイにはおたまの柄をくるりと差し出した。
「しかしひれー家だな。親は医者か? 高官か?」
 鍋から直接おたまでスープをすすりながらカイが言う。内装をきょろきょろと見渡し、隼人も同じ内容を繰り返した。
「ソーラーだったから電気が生き残ったんだねえ。凄いな」
「ただの遺産相続よ。両親は普通の公務員だったわ。土地もおじいちゃんのものだったし」
「へー」
「へぇ」
 気の抜けたような返事に視線を向ければ、目の前の食べ物に夢中になっている二人。ボウルに用意したビスケットは残り一枚に減っていて、同時に伸ばされた手が喧嘩を始めていた。
 そしてビスケットは粉々に砕ける。
「……あたしの事より。あなたたちの事をちゃんと教えてよ」
「知りたいか?」
 隼人から取り上げた粉々のビスケットを鍋に振りかけながらカイが意地悪く言った。見た目の効果で格好よく見えるのがむかつく。
 睨みつけたまま斜めに顎を突き出してやると、完食した鍋を隼人の前に押しやってカイが立ち上がった。そして良く通る声が大きく室内に響く。
「――俺様の名前は萩原カイ! フルネームを疑問系で呼ばれると心が傷つく十八歳だ。ちなみに大学は既に卒業しかも医学部だ。つまりは絶世のイケメンで且つ超絶天才という事実だ! 以後よろしく崇め奉ってくれ」
 そして左腕を背後に回し右手を胸元に当てて顔を上げたまま、芝居がかった仕草でお辞儀をした。
 私は半眼の無言。
 信じられない生き物だった。
 厚顔無恥自尊心の塊。自己中心唯我独尊。本当に生き残って良かったのかな?
「……えーと。僕は新嶋隼人って言います。一応カイと同じ大学を卒業しました。でも学部は人間科学です。あ、同い年です。よろしくお願いします」
 そしてその隣で座ったままはやとがぺこりとお辞儀をする。鍋が邪魔そうだった。
 物凄い雰囲気の無言でディナーは終わった。



 残念ながら水道は通っていなかった。浄水場を動かしてくれる人間はもういない。
 だけれど街が動きをとめて、この扇端部の湧き水は馬鹿みたいに綺麗になった。
 前は扇頂部の集落で不純物を取り込んで、飲んだらお腹を下して浴びれば皮膚がかぶれたと言うのに。
 この流れを見てると、やっぱり人間って害でしかなかったのかなって思う。
「馬鹿?」
「……馬鹿って何よ」
 全身びしょ濡れになったカイがこちらを見上げていた。両手両足を使って隼人を浅い水に沈めながら、意地悪く笑っている。
「俺様、ひいては人間様を生み出したのは他ならぬこの地球だぜ? つまりだなあ、大自然はMで人間様はSで、求め求められて必然性ってヤツなわけだ」
「……馬鹿?」
「ノン。超絶天才様だ」
 呆れて反論する気も無くなって、青い空を見上げた。木々の葉から見え隠れする日差しが眩しくて、目を開けてはいられなかった。

 小さな世界二日目。
 晴れ。
 他人の声に返事をする事にようやく鳴れて来た午後、あたしは二人を連れて一番近くの湧き水に来た。
 理由、男達があまりにも汚かったから。
「遊んでないでちゃんと洗ってよ!? あたし向こうで洗い物しとくから!」
 騒ぐ声にかき消されないように大声で言ったのに、水遊びという格闘に夢中な二人はこちらを見もしない。隼人が夢中になっているのは『水遊び』より『生き残る事』みたいだけれど。
 三つある沸き所の、二人から一番遠い場所を選ぶ。岩と木々に適度に遮られてもがく腕とか投げられた石とかしか見えない。
「角ばってる! 痛いってば! ここの石角ばってるうッ!」
「なら大きなヤツを投げてやろう! 打撲は出来ても切り傷は出来ないぞ〜」
 いじめっ子といじめられっ子だ。幼馴染だと言った二人の半生がその様子だけでうかがい知れる。
 だけど時々上がる笑い声が殺し合いでない事を証明してくれて、溜め息を吐きながらも作業を始めた。昨日使った食器類と洗濯物だ。
 三人分。
 気がついたら、顔が笑ってしまっていた。
 堪えようが無いほど嬉しい。楽しい。
 そして怖い。
 少し だけ。
 だけど。
 考えたって意味が無いって、さっき教わったから。
 そう、アイツみたいに考えてみればいい。
 必然性。
 それを信じていたい。
「リュウ! タオル!」
「……さっき渡したよね?」
「カイが濡らしちゃった」
 その濡らしちゃったタオルで局部を覆いながら近づいてこようとする二人を石を投げて牽制しながら、近くの岩においてあった服を指差す。
「何かを犠牲にしなさい」
 顔を見合わせて男達。
「……ぱんつか」
「……だよね」
「上着にしなさい!」
 二人が服を着終わるのを待ってから改めて近づく。
 何? と言いたげな二人に向かって端的に言い放つ。
「話。昨日の続き」
「ああ」
 めんどくせ。という呟きがはっきりと聞こえ発言者を睨み付けると手招きされた。真正面まで近づくと水を引っ掛けられる。
「……あんた何歳?」
「確かお前より一つ上だったと承知しているが」
 手に持っていた食器入りの鞄をうっかり投げつけないように地面に下ろしてから、濡れていない場所を身長に探り木の葉に隠れていないコンクリートの上にしゃがみこんだ。整地された水源周辺は座るところには困らない。
 直ぐ近くに居る二人もシャツや上着で頭を拭きながら、話し合う体勢に身体を向けなおす。
「互いの自己紹介で終わって直ぐ寝たんだったかな」
「あんた達が真っ先にね」
「疲れてたんだよーごめんねー」
 そう、昨夜は正に話にもならなかった。ガキか犬猫か。こいつ等は空腹を満たした後三分ぐらいで沈没したのだ。それも居間のソファーやカーペットの上で。
 二人分の毛布を二階から持ってくるのは意外に重労働だった。
「壁を超えたからなあ」
 カイは悠長に言う。だがこの街を閉鎖隔離している壁を超えるということは。
「……壁を取り囲む軍や警察の目を掻い潜って、電圧線をショートさせて、反しまで付いた四メートルの壁をロープ一本でよじ登りそして転落……きつかった。涙が出た。ここの壁三重だったし……」
 そういうことのはずなのだ。
 それを全ての閉鎖隔離された街で繰り返してきた、その意図は何なのだろう。
 昨日から抱えていた第一の疑問はそれだった。
「あのさ」
「この町に来たのは生き残りを探すためだ」
 と、問う前にカイに答えられた。
 少しむっとしながらも用意していた次の質問を言おうと口を開く。
「でもさ」
「俺たちは最初に黒死病が発生して一番に沈黙した町から逃げ出してきた。『外』で誰かに見つかったら直ぐ捕まる。そして生き残りとして検体にされるか保菌者として黒死病の拡大を恐れて射殺されるか。逆に隔離閉鎖された町の中の方が安全なんだよ」
 暫くの沈黙。
 隼人は飛んでいるトンボを目で追いかけ、カイは家から持ってきたらしいコーラの缶を開けて飲んでいた。
 奥歯で苛立ちを噛み締め、私は質問を続けようと――。
「そんでもって俺らは黒死病じゃねえ」
 あたしは結局鞄を投げた。
「ねえ隼人。コイツいつもこんなに自意識過剰で偉そうだったの?」
「う、うん……でも、反撃されたのは初めてだと思うよ」
 それも物理的に。と呟いた隼人の足元でカイが瘤の出来た頭を抱えて呻いていた。
 まさかこういう行為に出られるとは思いもよらなかったらしく、直撃を受けていた。なんでだろうなんでこんなに偉そうなんだろう。こんな失礼な態度を取っていて殴られる危険性を考えないなんて。本当に誰もこの男に反撃した事がないんだろうか。五つも六つも飛び級しているのは事実みたいだけれど、それだけでここまで偉そうに出来るだなんて周囲の人間が甘やかしすぎだ。
「こ、このガキ……!」
「一つしか違わないわ。それよりも人の話を最後まで聞けないあんたがガキ」
 胸を張ってやると隼人が拍手をした。
 舌打ちをしたカイが座り直し黙ってこちらを待つ。制裁の効果はあったらしい。
 満足感を感じながら切り直す。
「この町が、最後の町って言ったわよね。そこで私を見つけた。――それでこれからどうするつもり?」
「どうもしねえよ」
 それは少々いじけたような返答だった。ガキと言った本人がガキっぽく、視線を逸らして面白くなさそうに――すまなさそうに、言う。
 あたしは。
 全身の力が抜けるのを感じた。
 ……虚脱感。
 妙な期待をしていた。外から人が来て。
 助かるかもって。
「ここに入るとき結構な騒ぎを起こしたからもう出られないだろうし」
 この男なら。
 カイならって、思ってた。
 ちょっと頭が良くて行動力があるだけのただの人間に。
「……結局何も、変わらないんだ?」
「ああ……」
 期待をするなんて。
 ――なんておこがましい。
「別にいいわ」
 顔を上げると、二人とも驚いたような顔をしていた。
 私は鞄の中身が割れていないことを確認して、それをカイに押し付けてから立ち上がった。
「帰るわよ。三人分の食事って、準備に時間がかかるんだから!」
 そして振り返りもせずに歩き出すと慌てて二人が靴を履き追いかけてくる。ちらりと様子を見れば、面食らったような――そして安心したかのような顔。
 あたしは。
 死んだ世界に居た。
 そこから救ってくれたのは。
 確かに、あなたたち二人なの。
 ――それ以上を望む気は無い。
「今日はカレーよ! レトルトのルーに缶詰の具だけど!」
 一人だと多すぎて食べ切れなかったカレーが、今夜からレパートリーに加わる。



続く。





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