時が止まった舞踏会。
 翻ったままのドレスの裾。
 踏みかけたステップ。
 伸ばされた手と手は永遠に触れ合う事は無く。
 陽光に浮かび上がるエンジェルダストの中、時が再び回り出すのを待っている。


「――……素晴らしいですね」
 内心趣味悪いと思いながらも口先、上流階級の慣わしに従い相手の好色をとにかく褒めたたえる。
「まるで、本物のようだ」
「でしょう」
 たっぷりと蓄えた口髭を撫ぜながら不明瞭に笑う、中年の男。
「三年もかけましたからなあ」
 黄色く濁った目がこちらを見て。背筋を粟立たせながらもにこりと笑顔を返した。
「素晴らしいです。伯爵殿」
「ほっほっほ。フューフ殿もいかがですかな? 屋敷に一、二体置いておけば、客人が来たときに驚かせますし、まあ、たまには泥棒除けにもなりますな」
「では、強面のをひとつ置いてみましょうかね」
 冗談じゃないと思いながら社交辞令。横目でちらりと、直ぐ傍にあった柔らかい微笑みをたたえる女の人形を見れば――緩慢ながらもゆっくりと視線を合わせようとする、機械的な動き。
 ぎょっとして慌てて視線を逸らす。
 こんな気色悪いモノ。誰が家に置くものか貴様だけだ変態め。
「あちらはエメラルド。こちらのはパールでしてな。ごらんあれこの滑らかな白い肌――マギール海の大粒の最高級ですぞ」
 そう言いながら、パールの人形の頬を撫ぜる。そのエロティックな手つき――人形の女相手とは分かっていても、まったく見ていられない。

 人形。
 存在意義は子供に与えられるソレと、大して意味は変わりはしない。
 ただ材料が材料であるから、大人の、それも上流階級の金持ちにしか買えない事と。
 多少なりとも“意思”を持ち、動く事。
 “意思”とは言ってもそれは。
 花が太陽を追いかけるように、まるで自動的なものなのだけれど。
 人が目の前に立てば視線を合わし。
 声を掛ければ、可能な限りその言葉に従う。
 従うと言ってもこれもまた、犬猫が理解出来る内容をはるかに下回る範囲だが。
 立て、とか歩け、座れとか。
 そんな事をさせて喜ぶ人間なんて。
 目の前に居るが。
「動け! さあ歩け!」
 ハイな号令と共に軋みや衣擦れの音を伴って、ゆっくりと舞踏会が再会された。
 しかし、むしろ止まったままだった方が良いと思えるほど。
 それらの動きは、つたなかった。
 仲間同士でぶつかり合い。
 体勢を立て直すよりも早く重心が取り返しもつかないほど傾いてしまって、物そのものの動きで地面にぱたりと倒れる。パートナーを巻き添えにして、皆笑顔のままで……。 
「本当は踊れと言いたいが……ああ本当に歩くだけであるし。つまらん。“踊れ”の命令に従いきれるのはそこのサファイヤのと、アメシストとアンダリュサイト……その他のも金喰いモノばかりですわ」
 くず人形しかないという事の何が自慢なのか。
 “人形”の良し悪しを説明、してやっているというようなその態度。腹立たしいが俺は笑顔だ。経済界の好青年であるから笑顔は、人形と同じく標準装備というやつ。
 順に指を差された人形を見てゆくと確かに、ゆっくりとステップを踏んで三歳児並の足運びで、まあ踊っていると言えなくも無いカップルが何組か。
 周りの歩いているだけの人形たちにぶつかられ、数秒後には同じように床に転がった。
「ふう……やめろ! 元の位置に戻れ! ……ええい聞けるやつと聞けないやつがぶつかりおって……ああもうそのまま止まっておれ! 後で使用人に元の位置に戻させるわ」
 いきなり興奮したように怒鳴り終わった後は、困ったものですよと共感を求める下卑た目。
 俺は笑顔だ。
 早く帰りたいけれど。
「まあこの通り。躍らせるまではいかないものたちですが、一応これでも全て上ランクのものでしてな……“動ける”というだけでもう既に上物なのですよ。大抵は視線を彷徨わせるだけか、瞬きを数週間かけて繰り返すだけかでして」
 伯爵――すでに爵位制度は廃止されたが、家系的にそうである事と自らが名乗る事でこう呼ばれている男は――手を揉みかねない上目遣いですり寄り、彼より上背のある俺を見上げてくる。
 魂胆は丸見え。
 自他共に認める富豪フューフ家から、金を上手い事引き出そうとする、幼い頃から何度も見てきた濁った瞳だ。
 なんという気色悪さ。
 俺は。
 笑顔だとも。
「今度、この街に人形店を開く事にいたしまして……どうです? 見込みがあるでしょう? 最近は若い世代も人形を買うようになって来ましたし、退職金で高価な人形に手を出す中年たちも増えた。良いお話だと存じますがねえ」
 お金を下さい。
 お金を下さい。
 お金を下さい。
 札束で、死ぬまで叩いてやろうか豚ども。
 だけれど残念俺は、現金を持ち歩かない主義。
「そうですね」
 適当に期待させて。
 適当に後から煙に撒けば良いか。
 うそぶく能力に不自由をした事は、幸運な事に無いから。
「確かに面白いお話だと思いますよ」
「でしょう。儲かりますよ!」
「詳しいお話を、ゆっくりとさせていただきたいので、その前にまず貴方のプランを拝見したい」
「ええ! 喜んで! まずは……」
「情報の行き違いが内容に、文書での意見交換といきましょう。先程お渡しした名刺のメールアドレスに、簡潔にまとめたものを送っていただければ」
「分かりました。では……よいご返事を期待しております」
 豚の笑顔。
 この間ディナーに出てきた本物の方が、可愛かった気がするのは目の錯覚。という事にしておこう。
 比べられては豚が迷惑。
「しかしフューフ殿は人形を一体もお持ちでないとか」
 これでやっと解放される。と部屋の入り口で待つ秘書の元に戻ろうとした時、目の前にはなぜかだ未だあの笑顔。
「どうですかなお一つ、これらの中からお持ち帰りになられては……ああ安心して下され。原価でお譲りいたしますゆえ」
 その商人根性は。
 豚でも、食べないな。
「伯爵殿、私は……」
「ああ、こちらのオパールの女型はいかがか! 七色の大変珍しいものだそうですぞ。値段だけあってなるほどコレの瞳は美しい」
 先程“踊れ”の命令に従うことが出来たそれの腕を無理やりに引っ張り、俺の前に出して銀髪の前髪を太い指で上げて白色がかった七色の瞳を晒す。見ないことにもいかず視線を逸らさずにいると、案の定ゆっくりと動いたその瞳が俺の姿を映す。
 鳥肌もの。
「はあ、このように派手なものは、私の館の雰囲気には合わなくて……」
「ではこちらのターコイスですな! 黒髪に空色の瞳。地味ですが瞳の水色は鮮やかに光りますとも」
 人形全般を指して言った言葉だったのだが。
 断っても断っても次に次に。
 解放されるのならば買っても良いと考えてしまう、悪徳業者の被害者の思考が今なら分かる。
 というかその思考に乗っかってしまう事にした。
 適当に買って。
 適当に処分しよう。
 悪徳業者の被害者たちと、一点だけ違うことは。 
 俺には正に掃いて捨てるほど金があること。
「……では、そちらの……」
 適当な金髪の女型を指差しかけたその時。
 視界に、“異様”が飛び込んできた。
 ソレは確かに人形だったが。
 ドレもコレもが気色の悪い薄ら笑いを浮かべている中、一体だけが無表情。
 それどころか、“嫌な顔”にも見えて。
「ああ、アレですか」
 黙りこんだ俺の視線の行き先に気づいた伯爵が、反吐を吐くような顔をして。
「失敗でしたよ……丁度燕尾服を着て売られていたので、あのアメシストと対で買ったのですがね……命令してもあの気色の悪い顔! 店で見たときは普通に見えたというに……ヘタなものを売りつけられたものですよ! まったく」
「あれを下さい」
 数秒、妙な沈黙が室内に響いた。
 聞き返せないほど驚いた顔をしている伯爵が、直ぐに我に返りもごもごと反論しようとするが。
 俺は笑顔で。
「泥棒避けには、なりそうでしょう?」











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