南水蛍町の閑静な住宅街。
 とうに朝日は昇っているが、いまだ目覚める気配の無い家が一軒。

 レンガ造りのその御家。
 西欧風で中庭が自慢。
 4LDK主が独り。
 主独りなはずなのに。
 ……最近悲鳴が多い。
「――ッワーーーッ!?」
 それも野太い。
 金髪碧眼主の悲鳴。

「な、あ、な、何で此処にいるのですかッ貴方はッ!」
「ん〜〜? おはよ……テディ。キスして」
「しませんっ」
 きっちりとしたパジャマを乱しベッドから転げ落ちたテディとは対照的、悲鳴を上げさせたコウヨウは猫のように欠伸をし、のったりと膝立ち瞼を擦る。
「……? しないの? なんで?」
「あのですね! 此処は日本でありまして、キスは挨拶ではありませんっ」
「テディが俺にキスしない……? なんで?」
 まったく話が通じていないコウヨウが、その証拠に枕を抱えたまま再び船を漕ぎ出していた。
 その様子に頬を染め諦めのため息を吐いたテディだが。
 次の瞬間硬直する。
 かなり寝乱れたコウヨウのパジャマ姿。
 寝乱れた。
 じゃなくて、パジャマ姿。
「……コウヨウ君。何故、パジャマで貴方が此処に?」
「ん……きのう、きた……」
「ご両親にはなんとっ?」
「テディイのうちに、とまる、って。ゆった」
「ご両親はなんとっ?」
「オッケ、て」
 あの方達は……。
 テディの唇から溜め息が再び漏れ。
 いつの間にか間近に迫っていたコウヨウの顔に強制的にソレをとめられた。
「ね、きす……」
「いけま」
 せん、という前に柔らかい感触。固まっていると、何度も羽のようなキス。
 上唇下唇。頬、顎。両手を頭に回し夢見心地のまま、コウヨウが気持ちよさそうにソレを繰り返す。
 おそらく最後の合図だっただろう、少し強めに押し付けられた厚めの唇に。ぷちりと何かが飛んでった。
「ん」
 上に乗っているため下向きなコウヨウの頭を押さえ抉るように舌を伸ばす。相手を引きずり出し、絡め、吸い上げ本能のまま。
「ぁっむ……ん」
 息継ぎすら許さず貪った。
 捕食されるために飛び込んできた羊は、瞳を閉じ全てをゆだね縋りつき。
「あテ、ディ……」
 切れ切れに、捕食者の名を呼ぶ――それに答えるように伸ばされた、大きな手は。
 拳を作り自身の腹にめり込んだ。
「ぐふッ!」
「テディっ?」
 お構いなく! 殴ったばかりの手でそう伝えながらどうにか立ち上がり部屋の隅まで移動。締め切られたカーテンを一気に開けて全身で朝日を浴びた。
「ッッッッオハヨウゴザイマァァアァアスッッ!!」
「テディッ……煙出てるよ?」
「煩悩です。お構いなくッッ!!」
 一転して爽やかな笑顔だった。


 二階の寝室から移動し一階のダイニング。
 中庭からサンサンと注ぎ込む太陽が眩しい。
 眩しすぎる。
「テディ……カーテン閉めようよ?」
「貴方の身体に悪いです」
「テディの身体に悪いよ」
 心配そうに頬を撫でて来るコウヨウに一々硬直しながら、気合で煙を押えどうにか朝食の準備を続ける。
 そもそも現在の時刻A.M.9:28はテディの活動時間ではなく。コウヨウに合わせた(というか起こされた)起床時刻にテディの瞼は重い。眼鏡の位置を直し、欠伸を噛み殺しながらの作業。
「テディ、もっとゆっくり寝てて良かったんだよ?」
「……コウヨウ君。一つお願いがあります」
 なあにと見上げてくる視線が可愛い。可愛い!
 ぐっと牙を噛み締めレタスを真っ二つに割り、コウヨウの目を見ないようにして話す。
「ここに来るときは、両親は勿論ですが私にも連絡をする事」
「うん……ごめんね? 明け方だったからテディ、もう寝てるだろうと思って」
「明け方に来たのですかッ!?」
「うん。4時、5時だったかな」
「それでは貴方、寝てないじゃないですか」
「テディの傍で眠りたかったんだ」
 ぐらりと揺れた視界をどうにか持ち直し、眉間を濡れた親指でぐりぐりする。熱はなかなか消えなかったし余計に熱くなった気がした。
 この。
 小悪魔め……。
「私の我慢を……何だと」
「テディ?」
 キッチンに座り込んだままなかなか出てこないテディにコウヨウが呼びかける。返事をする前に足音。オープンキッチンの窓から癖のある髪がひょこりと覗く。
 そんな所から覗き込めるようになるまで成長した。
 コウヨウの厚みのある唇が開き、変声期を終えてなお高いままの声が彼を呼ぶ。
「テディ」
「……大丈夫です」
 溜め息を吐き、精神を落ち着けてから立ち上がる。
 トレイを持ってダイニングルームに歩むと、すかさず伸ばされた手が片方のトレイを奪ってゆく。
 危ないからやらなくていいと注意する時期は、とうに過ぎた。
『誰にも何も話さない』
『だからずっと傍に居て。俺をいつでも受け入れて抱きしめて。テディ』
 あの時子供はそう囁き。
 テディの腰までにも満たない身体で見上げていた。
 今は。胸元まで届く背のコウヨウが、テーブルのセッティングをしている。
『そして大きくなったら――』
 テディを呼んで微笑む顔は日々を歩むごとに大人びて。
 仕草の一つ一つが彼の情欲を誘う。
『――俺の血を、吸って。テディの仲間にして』
 どくりと疼いた。
 牙の付け根が、ざわつく。
 ソレを笑顔の奥に隠し、同じ席に着き、彼に合わせて要らない食事をする。コウヨウが学校での事や友人の事、他愛の無い話をしながら笑って見上げてくる。
 ――私たちの関係は、何なのだろう?
 こんな風に話をするのは楽しい。正体を隠さないでいいのも、楽だ。
 彼との関係は、友人だと思う。
 思おうと、している。
 情欲をそそられるのは彼の血が魅力的だから。
 誘われて疼かないはずの無い吸血鬼のサガだから。
「覚えてる? 来週、俺の誕生日だよ」
「はいはい……何が欲しいのですか」
「テディ」
「では、特大のやつを差し上げましょう。生地は何が好みですか?」
「違うよ! もー!」
 文句を言いながらも嬉しそうに笑う。
 心から感情のままに、彼は笑う。
 その姿をいとおしいと思う。
 だから、彼を仲間にすることは出来ない。
 長く生きれば生きるほど――感情を磨耗させてゆく吸血鬼。
 彼から笑顔を奪いたくない。
 ずっと笑っていて欲しい。
 傍で――そして、どこか遠く別の場所に居ても。
 このまま血を吸わずに、そのままの関係でいられたなら。深みに填まらなでいられたなら。
 自分は彼が、離れて行った時、笑顔で見送る事が出来る。
「十七歳は、大人だよ」
「まだ子供です」
「そりゃあテディに比べたらね。でも――」
 鼻先を近づけ不意に真面目な顔になったコウヨウが囁く。
「テディは、俺が大人になったって、子供だといい続けるでしょう?」
 ――――黒い瞳の奥の真意は読めず。
 ただ暗い予感だけが吸血鬼の背筋を舐めた。
「……まさか。日本の法律では、二十歳からは問答無用で成人ですよ?」
「堂々とお酒も飲めるしね?」
 ふふと笑ってコウヨウが顔を退ける。そのことにほっと息をつきながら。
 かかないはずの汗を握っている自分の手の平に気づいた。

 そのまま――結局日没まで居座ったコウヨウを残し、テディは『仕事』に向かう事になった。
 放任主義の日本人の家族に溜め息を吐き、スーツに黒いロングコートを羽織り玄関で振り向く。
「いいですか? 帰宅が夜中になる事などザラですから、九時を過ぎたら独りでも家に帰ること」
「お隣さんじゃない」
「それでもです。ご両親が心配……していなくとも帰りなさい」
「分かったよ。課題終わらせたら帰る。鍵もちゃんとかけとくから」
 そう言ってガラス玉の付いた合鍵を揺らす。それは出会って最初のコウヨウの誕生日に、しつこく強請られて根負けし与えたものだ。その合鍵でもってテディは精神的な危機を何度も(特に目覚めの時に)与えられたのだが――いつもいつも計算高い可愛い笑顔に押し切られている現状だ。
 準大老ともあろう吸血鬼が、人間の少年に手玉に取られていると知られたら――族長からキツい仕置きをされそうで空恐ろしい。
 再び溜め息を吐きながら「行ってきます」
 くしゃくしゃの髪の毛の合間からコウヨウが「行ってらっしゃい」
 ……こういうのは悪くない。
 悪く無いが。
「行ってきますのキスは?」
 視線が合う前に(合うと逆らい切れない)玄関を開けて閉めて鍵を掛けた。そして早歩きで煩悩を振り払いずんずんと進む――本当に、まったく。
「勘弁してください……ッ」



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