「帰ってきたらしてもらお」
 勘弁する気のさらさらないコウヨウはにっこりと呟き室内に戻った。朝食と夕食(昼食は二人そろって昼寝)を済ませたダイニングルームの隣のリビングの机。そこに持ってきた課題を広げ、ソファには座らずカーペットにクッションを置いてそこに座る。
 コウヨウのいつものスタイルだった。
 大学ノートを広げ、そして傍には何故か、ノートパソコンと大量に買い揃えた新聞。
「学校の課題、とは言ってないもんね」
 いつも課題は出た端から学校で済ませていた。なのに最近はテディの家に来ては『課題』と称し、コレを繰り返している――吸血鬼に関する、情報集めを。
 既に立ち上げてインターネットにつないでおいたパソコンの画面と、買ってきた新聞を隅から隅まで見比べる。そして既に二月分にもなるノートに、今日もメモを足していった。
「……やっぱり、実際この街で起こっているはずの事件が、新聞にもテレビにも載っていない――規制されているんだ」
 ブログなどには書き込まれている事件が、報道されていなかった。
 これが一週間に一度は、必ずある。
 その内容は簡単な暴力事件や、窃盗、強姦、そして建物の崩壊や緊急の交通規制などまで。
 そして携帯を開き、カレンダーに赤い印が付いている日と、報道されていない事件が起こった日を見比べてゆく。
 十月十八日の今日、未明に、海岸に放置されていた車が爆発した事が目撃者のブログに書いてあった。怪我人が多数出て騒ぎにもなったのに報道は一切無い。
 そして、カレンダーには、い ま さ っ き つ け た ば か り の赤い印がある。
「……今日も出かけた……テディ」
 事件が起きた日。
 そして起きた日の翌日。
 テディは『仕事』に行く。
 なんどきいても内容を教えてくれない『仕事』。
 関係があることは、明らかだたった。
 自らの意思かはたまた、依頼か――事件に関して何らかの行動を取っているテディ。帰ってくるとき、時々服が汚れている。疲れた様子。誰かに必ず電話をして、そしてメモをしたソレをファイルに閉じている。
 その真相を尋ねる気はコウヨウには無い。
 彼の目的は、もっと別のこと。
 テディが関係を持っている組織あるいは機関。
 そしてテディ以外の、吸血鬼のこと。
 知る必要があった。
「俺は……ただ待っているなんて、良い子でいることなんて出来ないんだよ、テディ……」
 少し気まずそうに笑って。
 メモ帳の端には、テディの携帯から抜いた、事件の日に必ず掛ける電話番号。


 駄目だ。と言った。
 仲間にすることは出来ないと。
『俺が子供だから――?』
 違います。
 子供だろうと何だろうと関係ない。血族を増やすには、長老の許可が必要だった。
 正体を知られて脅されて仕方なくなど、問答無用で二人とも八つ裂きだ。
 だから住んでいる周辺では狩りを行わず、わざわざそういう界隈にまで足を運んでいたと言うのに――なぜこの子はあんなところに、それも独りで居たのだろう。
 とりあえずというていで攫って来たが。これからどうすればいいのか見当も付かない。命を奪うなんて事は絶対に出来ない。もしそんな事をしたら『追う側』から『追われる側』に暗転だ。なにより自身が許さない。
 記憶を奪う。だがアレは機関に頼まなければならないし、そしてコウヨウの精神に歪みが残らないとは言い切れない。そして何よりコウヨウは隣の家の子なのだ。この子だけがテディの記憶を失うと、逆に周りの人間に不審に思われる――――越してきたばかりだと言うのにまた引っ越すのか? 戸籍が既に失われた身では、一大事な事だと言うのに。
『俺、誰にも言わないよ?』
 信じ、られるわけがない。言うつもりがなくとも、知られてしまう危険性は拭いきれない。
『言わないよ。言うもんか。テディのトクベツを増やしたくなんかないもの』
 目に涙まで浮かべて必死に言う子供。
 信じきれるわけが無いのに。
 彼は気が付けば、頷いていた。
 じゃあ、とコウヨウが嬉しそうに言う。

『じゃあ、大人になったらテディの仲間にしてね』

 何度。
 誘惑に負けそうになっただろう。
 白い首筋に牙を立て、血を啜り、血を与え。
 彼の全てをとり込む。
 身も、心も。
 自分の支配下に置く――。
 とても、とても甘美なその誘惑。
 欲望に支配されようとするテディを、だが誘う彼自身の笑顔が引き止める。
 何度も誘われ。
 引き戻され。
 そしてまた誘惑される。
「勘弁してくれ……!」
 男がテディの言いたい事を叫んでいた。それを叫びたいのは自分だと醒めた思考で考えながら、壁に縫い付けた色黒の男の身体を更に固定する。
「そういう風に逃げるくらいなら、初めから協定を守りなさい」
「に、人間の決めた協定なんか――ッ!」
 掴まれた首に全体重を受け止め泡を噴きながら、若い吸血鬼が叫ぶ。どうやらアンチ派の思考らしい。
 最近、こんな風にむやみやたらに騒ぎを起こす輩が増えた。
 原因は、最近代替わりしたこの土地の当主だ。
 権力を握るなり『人間裏支配』を掲げた馬鹿たれ。
 そしてその馬鹿たれはテディの幼馴染でもある。もっとも、二人を並べて幼馴染どころか知り合いだと考えきれる者も、人間には居ないだろうが。
「……いいですか。パドリシオの考えはあくまで『裏支配』です。人間に存在を知られてはいけないと言う点は、変わっていません。だからこうして貴方をしばいて欲しいと直接に依頼が来るのですよ」
「なッまさか! パドリシオ様が俺たちを売るわけが無い!」
「ですからねえ……売るとかそういうソレも間違いですってば。はあ……まったく面倒くさいものを生み出してくれたものですよパドリシオは」
 溜め息交じりで込められた力は男に絶叫を上げさせる。だが誰も来ない。そういう場所を選んだ。
 夜の港は誰も居ない。建て並べられた倉庫の裏ともなればなお更、犬猫すら通らない。
「さて坊や。お仕置きはフルコースをオーダーされています……それなりの事をしたのですから、覚悟なさい。ほら暴れない。一晩で終わりますから大人しく」
 てきぱきと慣れた手つきで太い鎖を男の身体に巻きつけ、それを持ってずるずると男を引きずり海へと向かう。鎖は尋常ではない長さで、とぐろをまいたソレがうず高く倉庫の中に鎮座していた。堤防の縁ぎりぎりに立ち止まり肩の間接を回し始めたテディを見て、男が行動の延長先を悟りひっと悲鳴を飲み暴れる。
 だがまさか逃げれるわけも無く。
「では一発目――行ってらっしゃーい」
 淡々とした声音で言い砲丸投げの要領で。
 沖まで飛んだ。

『ご苦労様です』
 電話越しの相手が言う。若く、しかし落ち着いた男性の声だ。
「いえ……少々やりすぎたかもしれません。朝までに立ち上がれるようになっているといいんですが……念のため人目につかないところに放置しておきました」
 眼鏡を拭きながら帰り道。暗い場所を選びテディは歩いていた。
 辺りに響くのは電話の一方的な受け答えの声と、秋の虫の音。住宅街ではあるがヒトの気配は全て家の中。それを確認しながらテディは会話と続けていた。
『仕事を終えた直後で申し訳ございませんが、次のお仕事が先程起こりました。暴行事件――人間の女を襲い吸血。犯人は自称パドリシオの配下のヘイジというイギリス人の吸血鬼です。特徴は黒の短髪にグレーの瞳。弱点はあまりありません――お仕置きレベルBランクの支持がでています。執行は明日の夜に』
 淡々と述べられる内容に溜め息が漏れる。ここのところ、一週間に二回は最低、多いときは五回はある。
 これらに共通する符号は『自称パドリシオ配下』。
「困ったことです……どうにかなりませんか」
『私たちはパドリシオ一団だけで手一杯です。一応民間企業を装っていますので、昼間は営業に行かなければなりませんし。……下っ端の吸血鬼のことは、あなた方にお任せするしかない。というか、血族の面倒ぐらい自分達で見てください』
 急に投げやりで失礼な口調。どうやら相手もここ数日、出動ばかりでマトモに寝ていないようで。
 しかし言っている内容はもっともな事だ。
 当主が代替わりする前は、前任のカダロフの時は、その圧倒的な力の差でもって配下の吸血鬼を全て押さえつけていのだ。というか恐怖政治だった。逆らった者は吸血鬼なのに精神を病むまで苛められた。
 現任のカダロフ――パドリシオの支配が、弱いのだという事実。情けなくも愚かしい。恐怖政治なのは変わらないはずなのだが。直々にお仕置きしていると言う事も聞いたし。
 つまり、悪いのは当主であるパドリシオが掲げる理念。
 人間裏支配、だ。
「その……佐久間さん。パドリシオは本気なのですか? 血族の会議ではアホかバカかと跳ね除けられた政策なのですが」
『人間裏支配専用の先鋭部隊と毎日交戦している私たちに向かって尋ねますか? ――いい加減にしてください。人狼まで加わわられて、毎回死にそうな目に合っています』
 吸血鬼や人狼の軍団とぶつかり合っても『死にそうな目』に合うだけで実際は、交戦し対抗し、結果パドリシオの思惑を阻害し続けている彼ら――SSIコーポレーションの社員達には驚かされる。少々異能を持つとは言え、ただの人間が、それもたったの5人が。しかも、今話をしている青年は唯一異能など持たず、日本刀のみで交戦ししかしトップレベルの吸血鬼撃退能力を持っている。
「……申し訳ないといいますか、なんと言えばよろしいのか……」
『あなた方が散々パドリシオを説得しそして撃退された事は知っています。フォローしていただけているだけでありがたいです。ですからくれぐれも、あなた方自身が問題を起こす事は無いよう、お願いします』
 ちくちくしてる。
 相手の機嫌の絶不調を悟り、どうにかして電話を切ろうとテディが模索し始めたとき、プップッと電子音が通話の音に混じった。
『ああ、別の相手から電話です。……詳しい事はメールしますから。では失礼します』
「はい、分かりました」
 通話を切り溜め息を吐く。……最近溜め息が増えた気がする。
 ここの土地に赴任されたときは、あのカダロフの土地なのだから仕事などなにも無いだろうと――実際代替わりするまで三年間、借り出されたのは数回だった。半分は前任カダロフの私用であったし。それが昨年春に代替わりを宣言しやがった前任が御気楽に隠居生活などを始めて。権力を掴んだパドリシオが暴走し始めて。前任に当主に戻ってくれと頼んだけれどめんどくさいからイヤだと言われて。せめてパドリシオを止めてくれと頼むとめんどくさいからイヤだと言われて。
「……最悪です。スウェーデンから出なければ良かった」
 ポツリと愚痴が零れる。だが次の瞬間脳裏に思い浮かんだのは、コウヨウの顔。
 会えたから良かった会わなければ良かった。同時に二つの思いが駆け巡った。
 いつの間にか立ち止まって空虚を見つめていた。
 だが、思考は纏まらない。
 答えなど出ない。
 考えるのは。
 家で待っているだろうコウヨウの元へ、一刻も早く帰ること。


「はい、お電話ありがとうございいます。SSIコーポレーション南水蛍支部の佐久間です」
 二階の室内には佐久間意外誰も居なかった。既に閉店作業をしている途中の電話。悪い予感がしなかったと言えば嘘になるが。なるべくの望みをかけて一般客に対する対応をした。
 だが電話口から聞こえてきた内容は、佐久間の疲弊した精神をさらに落ちこませるもの。
『困っているんです……助けてください』
「……こちらは警察や消防機関などではありませんが」
 知っています。少し焦った口調が聞こえてきた。
 決まりだ。また事件。
「分かりました。内容を仰ってください。まずは、誰からここの電話番号を知りましたか」
『知り合いの……』
 続きは聞こえなかった。言いたくない、と?
 厄介な事情を持ち込まれては困るが、吸血鬼関連で厄介でなかった事は無い。佐久間は端整な唇から溜め息をつき、長い黒髪をかき上げつつメモを取る準備をする。
「では、貴方のお名前は?」
『……原田、コウ、です』
「その困ったことの内容は?」
『それは……出来れば、会ってから』
 警戒心が強いのか。もしや追われる立場か。
 事件を起こしたばかりの者かもしれない。
「では……最後に。コレだけは答えていただきます。貴方は、人間の方ですか?」
 たっぷりと沈黙が流れた。そして、小さな声で否の言葉が帰ってくる。
「分かりました」
『その……会うのは、夜が』
 分かっていますと答え、日時と、どの社員を向かわせるかを決め相手に伝える。
 自分は既に予定が埋まっていた。それに、怯えている者には、彼を向かわせたほうがいい。とくに人間でない相手には――。
「では、明日の夜八時。“バルキー”のカウンター席で」










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