仕事中の電話は取らない主義だったが。
 水に沈めた吸血鬼がなかなか上がってきてくれないので、コートのポケットで震えていたそれを取り出す。
 表示にはSSI。
「……また新しい仕事ですか?」
 正直取りたくなかった。最近特にいろいろあって、満足に休養が取れていないのだ。
 だが手の中のそれは鳴り止まない。
 溜め息を一つつき。
 真面目すぎる自分の性格を呪いながら、通話ボタンを押した。



「……それで、こんな事をしたのか?」
 響いた声は、亜朗のものではなかった。
 気配のみで辿り付いた、吸血鬼が、その路地裏の入り口に立っていた。
 逃げる気力なんてもう無い。
 近づいてくるその姿をただ見上げて、座り込んだままのコウヨウを、手を伸ばした吸血鬼がそっと頭を撫でる。
 何度も、何度も。
 そして、暫くの沈黙の後、ぽつりと洩らす。
「……ねえ、その吸血鬼のこと、そんなに好き?」
 見上げればじっと注がれる瞳に、からかうような色は無い。
 ゆっくりと頷いた。
 好き。
 もうそんな言葉じゃ間に合わないほどに。
 でも怖くて、愛しているとは言えない。
 テディは、答えてくれないだろうから。
 だから吸血鬼になって想いを伝えれば、と。
 浅はかな考えだったのだろうか。同じ時を生きれる同族ならば、答えてくれるかもしれないと、最後の賭けに出てこの有様。
「分かった。一緒に逃げよう!」
「……え?」
「ガ、ガズナさん!?」
 突拍子もない事を言い出す吸血鬼に人間二人の目が丸くなる。だがまじまじと見つめても、その顔は真面目そのもの。にこりと笑って、ひょいとコウヨウの身体を抱き起こしてしまう。
「うん。というか、逃げないとやばいよ。さっき実は、店の人に有国に通報するよう言っちゃったんだ。多分“亜朗が吸血鬼にさらわれた”って伝わっているはずだから――」
 そこまで聞いて、亜朗の顔が青くなる。
「ま、まずい」
「ウン。すっごーく、まずいよ。SSIの全員が出動するだろうし、後パドリシオとか双子の人狼とかその他の人外が総動員して――コウヨウを捕まえようとしてくる。……好かれすぎるのも大変だね、亜朗さん」
 亜朗は頭を抱え、ガズナは同情するような視線を投げかけていた。しかし次の瞬間顔色を変え、いきなり走り出した――両手に軽々と、亜朗とコウヨウを抱えて。
「ガ、ガズナさん!?」
「ぼやぼやしてる場合じゃなかった! まずいよ直ぐ近くまで来てる! それも集団! しかも吸血鬼ィ!!」
 最後は半ば悲鳴のように叫び地面を蹴る。男二人を抱えて信じられないスピード――これが、吸血鬼。面食らって何も言えないコウヨウの隣で、二人がとりあえず対策を練り出していた。
「亜朗さん! 電話!」
「留守電! 多分もう出動してるううう!!」
「俺の携帯とって! んで一番押して通話!」
 亜朗がガズナの携帯を手探りでポケットから取り出し、下り階段を一段目から最後の段まで飛び降りた衝撃で一度ガズナの頭に叩きつけてしまってから、次は慎重にガズナの耳に押し当てる。
「もしもし!? もしもしとにかくHelp! Helpーー! ってこっちも留守電かよ役に立たないヤツーーッ!!」
 痛みも追加して涙声のガズナが、急に立ち止まった。
 自転車並みのスピードが急停止したため、かなり前のめりになってから、ゆっくりと二人を下ろす。
「……囲まれた」
 二人の視線に短く答え、暗闇へと続く前方を睨み付けた。

 暗闇から生まれた靴先は小さく。
 そして全身が月の光の下に現れても、その姿は小さかった。
 長い灰色の髪、そして人間にはありえない、真紅の瞳。
「あッ」
「げッ」
 亜朗が驚いたような声を。ガズナが嫌そうな声を出す。
 その様子に無表情のまま答え、子供は小さな唇を開いた。
「……亜朗が吸血鬼にさらわれた、という情報だったが……貴様なのか? ガズナ・キルハルト」
「そっちの苗字で呼ばないで欲し」
「答えろ。貴様か」
 口答えをしようとしたガズナを遮り、強い口調でもって問いかける。
 ただの人間のコウヨウにも分かった。この目の前の子供は――怒り狂っている。
 暫く迷い、必死に睨み返していたガズナだが、圧力に負け小さく首を振る。
「では、誰だと言うのだ? 今この場には、私と貴様しか吸血鬼は居ない様だが」
「……に、逃げたんだよ」
「この私を欺けると思うな。亜朗の気配と共に移動していた吸血鬼の気配は常に一つだった。それも特有の、貴様のものだ」
 強い、強い怒りの気配。
 もしコレが、自分に向けられたら。
 ――体が勝手に震えた。
「あ、の……」
 でも。
 口を開いた。
 このままでは犯人にされるのは、ガズナ。自分の身勝手のせいでこれ以上、迷惑を掛けたくなかった。
「お、れ。俺が――」
「紅葉君!」
 赤い瞳がこちらに向けられると同時に亜朗に口を塞がれた。引き剥がそうとすると、その手を今度はガズナに封じられてしまう。
「俺なら大丈夫だから」
 耳元でそっと囁かれた。何が大丈夫、だって。
「――パーシィ。違うんだ、店の人の勘違いで……それにホラ、俺は無事じゃないか」
「……そういう問題では……」
 亜朗が立ちはだかると、目に見えてパドリシオの態度が軟化した。
 俺に危害を加える吸血鬼は居ないから。バルキーでの亜朗の言葉が甦る。
「それよりも早く有国さん達の居場所を捜して欲しい。勘違いしてバルキーに向かっている途中だと思うから」
「亜朗。本当の事を――」
「コレが本当だよ。何も無かったんだ」
 パドリシオの、幼い外見に似合わない深いため息がその唇から漏れる。
 その様子をガズナに背後から抱えられたまま眺めていたコウヨウは――いきなり視界がぶれて地面に押し付けられた。驚いて力の掛かった背後を振り向けば。
 蹴りを放ったままの体勢で固まっているガズナと、その下から鋭角に飛んできた踵を手の平で捕らえ、驚愕に目を見開いている――
「テ、ディ」
「コ、ウヨウ、君?」
 視線が交わり。
 世界が
 一瞬、暗転した。















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