「何を失敗しているのだ阿呆。キルハルトの名に遠慮はするなと……、?」
 奇襲を仕掛けていたことを亜朗に知られ睨みつけられたパドリシオが、怒りのままにテディをなじろうとして、その当のテディの様子がおかしい事に気づいた。もがくガズナを一応は捕まえているのだが、次の行動も起こさずただ固まって、地面に転がっている人間と見詰め合っている。『執行任』としてあるまじき姿――。
 何かがおかしい事は、理由までは分からずとも見て取れた。
 だがじっくりと観察してその理由を解明する時間は――
「パーシィ。俺は、怒ってるよ!……ちょっとお話しようね!?」
「う……」
 ――パドリシオには無かった。



 視線の先に在るのはなによりも心を占める大切なひと。
 だけれど今一番、会いたくなかったひと。
「……コウヨウ君。君が何故、ここに?」
「…………」
「コウヨウ君!」
 答えられる筈が無い。
 俺はテディを、裏切った。
 二年前の大切な約束を――破った。
「……ご、め……さ……ディ」
 みっともなく涙が零れる。
 二年間で何が変わった?
 何も変わってない。自分はまだ子供だ。エゴを押し付けることを覚えた浅はかな子供。
「コウヨウ君……ちゃんと、きちんと話してください。一体何があったのかを」
 ただ首を振り、ごめんなさいと繰り返す。
 許される事ではないと知っている分だけ、成長した自分。
 許される事ではないと知っていたのに、強行した自分。
 もう、見られたくなかった。
 見られていたくなかった。
「コウ……」
 伸ばされた腕を掻い潜り立ち上がる。そのまま、数歩後ずさって、テディの蒼い瞳を見据えた。
 かすれる声で乾いた喉を、押し開く。
「俺、は……いい子なんかじゃ、なかった」
「コウヨウ君……」
「いい子で待ってなんか、居られなかった! テディ! 今この手を取れないのなら、俺を仲間にすることがまだ出来ないのなら!」
 汚れた。
 汚い手の平をテディに差し出し、懇願する。
「――永遠に隣に居れないのなら…………一瞬で、殺して」


 彼は。
 動かなかった。
 その手の平を取る事もせず、払いのける事もせず――ただ、コウヨウを見つめていた。
 コウヨウは。
 その瞬間、笑った。
 笑って、差し出した逆の手で顔を覆って。
 笑ったまま泣いた。
「ああ――」
 それは慟哭のような。
「――分かって、たよ」
 小さな
 絶望の声。
 
 駆け出したコウヨウを呼び止めることも出来なかった。
 駆け出したコウヨウは振り返りもしなかった。
 テディとは逆方向、パドリシオが居る方向だが――亜朗が咄嗟にパドリシオの身体を押えて、通り抜ける事が出来た。
 遠くなってゆくコウヨウの靴音だけが響く、沈黙に。
「……おい。放せ」
 もがく声が響いた。手の中にあるガズナの踵を見下ろし、思い出したようにテディの視線がガズナに向く。
 視線が合った。彼は――怒っていた。
「……ッ放せってば! 追いかけるんだよ! 今どれだけの人外がコウヨウを追いかけてると思ってるんだ!」
 バランスを崩したままの弱々しい拳がテディの胸板に叩き込まれる。
「あの子が捕まっても、いいのか!?」
 その衝撃に、その事実に目を見開いたテディが手を放し、ガズナがやっと解放された身体を翻してコウヨウの後を追った。
 その後姿をただ、見送る。
 追いかけなければ、とは思った。
 体が、動かなかった。
 追いかけて捕まえて胸のかなに閉じ込めて、どうするつもりだ?
 いままでのような生活が、送れるはずも無い。パドリシオの目の前で、知り合いだという会話をしてしまった――二年前のことがばれて、処罰が下るのは避けようも無い。
「……心底阿呆が」
 だがそのパドリシオが、こちらを見ないまま言ったのだ。
「行け。このぐらいを独りで解決できずして、何が準大老の吸血鬼。――同年期として恥だわ。この脳味噌すっからかんのデカブツめ」
「パドリシオ、貴方――」
「まさか貴様が色恋とはな。右手が恋人で吸血鬼の生涯を閉じる可哀相な奴となるのだろうと、諦めていたのだが」
 そこまで言わなくとも良いのではないか。
 めずらしくも微笑み、気遣うようなそぶりを見せる幼馴染に複雑な感情を抱きながら、しかし心は固まる。
 答えを出せなくとも。
 護る事は出来る。
 傍に居る事は、出来る。
「ありがとうございます――」
 そう言って暗闇に溶けるように消えたテディを見送り、パドリシオは視線を上へと向ける。
 そこには、自分を抱きしめて拘束する、すまなさそうな亜朗の顔。
「……これで良いのだろう」
「うん……ごめんな。カダロフなのに」
 当主としての名を出され、しかし鼻で笑う。
 そんなものは別にどうでもいい。
「お前が無事だったのなら、それで――」




 手を引いてくれているガズナは明らかに、人間である自分のペースにあわせて走ってくれていた。
 最初のように抱き上げないのは、この路地が極端に狭いのと、追いついてくる人外たちを跳ね除けるため。
 通報は、未だ取り消されていなかった。
 その発生源であるSSIに直接交渉すると言って、ガズナは走っている。
 その前に体力の無い自分の所為で捕まるか。どうなるか、分からないだけど、走り続ける――。
 だが全てがコウヨウにとって、既にどうでもいい事。
 人生を掛けた決断に――答えてもらうことすら出来なかった。
 思い出すのは凍りついたような、テディの瞳。
 早く捨てておけば良かったって、思った?
 図に乗った俺を、疎ましく思った?
 ああ、もう――何もかもが、どうでもいい。
「コウ、ヨウ! ちゃんと走って!」
「ガズナさん……」
「早く! もう直ぐだ!」
「ガズナさん、もう、いいよ……」
 叱咤しようとコウヨウを振り向いて、ガズナの視線がはるか彼方の空に向けられる。
「何で今更……! くっそ上からじゃ丸見え……!!」
 そして角という角をめちゃくちゃに曲がりまくる。だがその目くらましの行為がたたり、四方を大きな壁に囲まれた袋小路に突き当たってしまった。
 背後から、コウヨウにも聞こえる靴音――。
 ガズナがコウヨウを背後に隠して、袋小路に続く曲がり角を、にらみつけた。

 気配は確かに続いていて。
 数回前の曲がり角までは姿まで捉えていた。そして一本道であるはずのこの袋小路に――しかし、ガズナとコウヨウの姿は無かった。
 そして次の瞬間、気配すら微塵も感じ取れなくなる。
 辺りにいた吸血鬼たちも、混乱して立ち止まり、別々の方向を探しに行く気配が感じ取れた。
 どう、なっている?
 目の前に今さっきまで、確かにあったはずの気配を探り取れず――テディは袋小路の突き当りまで進み、しかし何も見つからず、その壁に手袋に包まれた手の平を押し当てた。

 左隣で壁に手を付いていたテディが、目の前を通り過ぎ、そして諦めた顔で別の場所を探しに行く――その姿を見送りながら、コウヨウは瞳を閉じた。そしてもう一度開けて、今度は右隣、ガズナの様子をちらりと伺う。手だけはまだ繋いでいて、そして繋いだその手に過剰に、力が入る。苦しいんでいるのだ。
 当たり前だ。
 自分は口と鼻を手で押えられているだけだが――彼は口内までをも蹂躙されていたのだから。
「……ッ」
 鼻腔から息が漏れないように自分で止めながら、しかししつこい口付けに相手を右拳で打ち付けて抗議する。だが、その抵抗すらも愉しんで悪戯をしているふしが、彼にはあった――最初に曲がり角を曲がって袋小路に入ってきたその少年。コウヨウよりは年上だろうが、高校生だと断言できる背格好の、パドリシオによく似た容姿をした彼は、二人に近づいてくるなり有無を言わさずコウヨウの口と鼻を塞ぎそしてガズナの唇を奪った――それも慣れた様子で一切の抵抗を許さず。
 一体どういう関係なのか分からないが、ガズナの最初の反応を見て初対面ではないと判断できる。
 だが今はそれよりも。
 息が
 苦しいのだけれど。
 ……とりあえず試しにタップもどきに、壁を叩くと銀髪のその少年と視線が合った。そしてその赤い瞳が路地裏の奥を見据え、テディの姿が完全に見えなくなってからやっと、コウヨウを解放した。
 コウヨウだけを。
 そして遠慮のなくなった濃厚な口付けを、手を握られたままの所為で――一番間近で見せ付けられてしまう事になった。
「ん、む、む、……ァッ」
 どんなに呻いても解放されないそれは近くで見れば見るほど、ただの拷問。
 そしてどんな抵抗も受け入れず気の済むまで口付けを味わった少年がやっとガズナを開放し、そして鼻先が触れ合う位置で意地悪く囁いた。
「――誰が、役に立たない奴だって?」
「……俺ですよ。……申し訳ございませんねえ」
 













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